第1回ラスター課題 (2002年12月12日提出)
『東京23区土地利用変化1974-1994』

鷲崎 俊太郎(経研D3)
| 1974-79年 | 540,954 |
| 1979-84年 | 27,883 |
| 1984-89年 | 16,966 |
| 1989-94年 | 475,343 |
考察
図1は、1974-79年における宅地化された公共公益施設用地の区面積に対する比率を求めたものである。
図1によると、東京23区内では、この時期に、「副都心」と呼ばれた地域において、その比率が高いことがわかる。なかでも、豊島区・新宿区・中野区は、高率を占める。
この3区には、サンシャイン60(豊島区)、超高層ビル群(新宿区)、中野サンプラザ(中野区)に見られるように、当該期において、高層ビルの建設がめざましかった地域である。それぞれの高層ビルについて、建設以前の土地利用を見ると、サンシャイン60:巣鴨拘置所、超高層ビル群:淀橋浄水場、中野サンプラザ:警察大学である(図2)。いずれも、戦前から戦争直後に代表される公共公益施設用地と言えよう。
新宿副都心第1号のビルとなった京王プラザホテルが着工されたのは1968年と、当該期より少し前である。だが、1974年からは、新宿住友ビル、KDDビル、新宿三井ビル、安田火災海上ビル、新宿野村ビル、新宿センタービル、ホテルセンチュリーハイアット、新宿NSビルといった具合に、続々と超高層ビルの建設が始まった(1)。
こうした高層ビルの建設が可能となったのは、1963年に建築基準法が改正されたためである。同法の改正によって、いままで東京の街の高さを31mに抑えてきた建築物の絶対高さ制限に代わって、新しく容積地区制度が導入された。
さらに、容積地区制度導入と並行して、1964年、特定街区制度も見直され、街区内に市街地環境の整備改善に寄与、また公共の利用に供する有効な空地を生み出す建築計画に対しては、容積地区による一般的制限よりも高い容積率を認める「インセンティブ・ゾーニング」の制度に改正された。この制度は、建築基準法に規定される一般的な高さ制限を適用除外し、別途違う考えで制限を設ける制度でもあったので、以後、超高層建築物を創出する制度として活用された(2)。
次に、図3を見てみよう。図3は、1989-94年の東京23区内における宅地化された公共公益施設用地の区面積に対する比率を求めたものである。図3によると、図1で高率を示した新宿区、中野区に代替して、中央区、渋谷区、目黒区において、最も高い比率を占有した。
1990年代前半期は、バブル経済の崩壊によって景気が低迷し、東京の都心部において、低・未利用地が増加した時代である。土地の有効利用を促進するため、都心地域の低・未利用地の有効利用の促進や市街化区域内農地における計画的なまちづくりを推進するとともに、経済対策の観点からも、公共事業、住宅建設、都市開発や民間事業などの推進を図ることが重要とされた(3)。
1991年には、首都圏整備計画に基づいて、都市再開発が抜本的に実施されている。そして、行政は、居住地の適正配置、居住水準の向上および良好な居住環境の確保を図るため、民間における良好な住宅の建設を促進するとともに、公的機関による集団的な住宅の建設を推進したほか、住環境の整備を図るため、改良住宅などの建設を推進した。
図3で、中央区、目黒区および渋谷区、荒川区が高率を示したのは、それぞれ、大川端、恵比寿、南千住において、首都圏整備計画に基づく特定住宅市街地総合整備促進事業が推進されたためである。品川区の芝浦・港南地区も、この事業に含まれる(4)。
同事業推進の背景には、国鉄分割民営化に伴う土地処分問題が挙げられる。これは、まさしく、宅地化された公共公益施設用地の典型例である。
国鉄清算事業団は、1987年4月、国鉄分割民営化により、事業団に帰属した国鉄長期債務の償還、土地・資産の処分、職員の再就職の促進など、国鉄改革に伴う業務を行うことを目的として発足した(5)。汐留・品川・恵比寿に代表される都区内の旧国鉄用地は、当面の地価を考慮して、処分に遅れをきたすものの、都市再開発事業の一環として売却され、「恵比寿ガーデンプレイス」(1994年;ただし、基盤はサッポロビール恵比寿工場跡地)、「カレッタ汐留」(2002年)の開業に至る。
【註】
(1) 河村茂『新宿・街づくり物語』鹿島出版会、1999年、144-46頁。
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(2) 河村『新宿・街づくり物語』、131頁。
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(4) 国土庁編『首都圏白書』(平成4年版)大蔵省印刷局、1992年、169頁。
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(5) 総務庁行政監察局『JR貨物会社、国鉄清算事業団の現状と課題』大蔵省印刷局、1993年、52-57頁。
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